こころを曝け出すこと・・・
2004年10月11日 日常かなり前、わたしが尊敬する人が、
ホームページで日記を公開していて、
それを会社の人が熱心に見ているのを知った際、
わたしに助言をした。
「自分のこころだけを曝け出しているだけでは、
それはただのストリップだけにしか過ぎない」
わたしはその言葉の意味を分かった。
しかし、それはその人のホームページ上で、
書かれた発言だっただけに、
お茶を濁したようにうまく取り繕ってしまった。
本当はその人の言う通りに会社の人たちにも、
腹を割ってそういう風にするのはいいことだから、
そうしようと呼びかけることが良かったことだ。
しかし、そうしなかった。
何故なら、相手に多くを求めたくなかった。
こころを何もかも解き放って求めることは、
信頼関係のない相手には疎ましく思われるからだ。
多くを求めて拒否されて、関係が不味くなるのが嫌だった。
残念ながら、未だに会社の人とは、
そこまでの信頼関係を築けた人は、
本当に片手で数えられる程度だ。
友達の中にも本当に信頼出来るのは少ない。
相手を無条件に、こころ許すこと、それはただのノー天気だ。
信頼関係が築かれて、初めて何かが出来ると思っている。
こころは少しずつ明かされて、
やがて、すべてを分かり合えるものだと思う。
それには相互理解の努力が必要だと思う。
だから、理解できるように、僕は頑張りたい。
ホームページで日記を公開していて、
それを会社の人が熱心に見ているのを知った際、
わたしに助言をした。
「自分のこころだけを曝け出しているだけでは、
それはただのストリップだけにしか過ぎない」
わたしはその言葉の意味を分かった。
しかし、それはその人のホームページ上で、
書かれた発言だっただけに、
お茶を濁したようにうまく取り繕ってしまった。
本当はその人の言う通りに会社の人たちにも、
腹を割ってそういう風にするのはいいことだから、
そうしようと呼びかけることが良かったことだ。
しかし、そうしなかった。
何故なら、相手に多くを求めたくなかった。
こころを何もかも解き放って求めることは、
信頼関係のない相手には疎ましく思われるからだ。
多くを求めて拒否されて、関係が不味くなるのが嫌だった。
残念ながら、未だに会社の人とは、
そこまでの信頼関係を築けた人は、
本当に片手で数えられる程度だ。
友達の中にも本当に信頼出来るのは少ない。
相手を無条件に、こころ許すこと、それはただのノー天気だ。
信頼関係が築かれて、初めて何かが出来ると思っている。
こころは少しずつ明かされて、
やがて、すべてを分かり合えるものだと思う。
それには相互理解の努力が必要だと思う。
だから、理解できるように、僕は頑張りたい。
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