たとえ、信じられないような世界でも、信じなければ進めない
2004年11月5日 日常異動してからというもの、環境の変化か、
信じられる人間がほとんどいなくなってしまった。
肝心なところで、人の心を踏みにじるような人がいる。
わたしはそんな裏切りのようなものを受けてしまった。
個人的な友達から、会社の同僚から。
本当は泣きたいくらいにつらい。
そして、所詮、他人は他人。
結局、わたし自身、利用価値があるかどうかでしか、測られていない。
いや、東京に来てから、人は喋る道具という風に人に対して、
そう扱う人との接触が多くなってきたから寄り濃く、そう思うのだ。
仕事で、同僚にも、お客さまにも、業者にも。
わたしは人として扱われる機会が少ない。
わたしは喋る道具。
でも、わたし自身は、やっぱり、自分自身を人だと思うし、
オレは人じゃないなんて、捻くれるほど浅くも無い。
どんなに駄目だと思っても、前に進む意志を捨てちゃいけない。
だから、どんなに信じられない世界でも一握りもない
信じられるもののために、信じていこう。
信じられる人間がほとんどいなくなってしまった。
肝心なところで、人の心を踏みにじるような人がいる。
わたしはそんな裏切りのようなものを受けてしまった。
個人的な友達から、会社の同僚から。
本当は泣きたいくらいにつらい。
そして、所詮、他人は他人。
結局、わたし自身、利用価値があるかどうかでしか、測られていない。
いや、東京に来てから、人は喋る道具という風に人に対して、
そう扱う人との接触が多くなってきたから寄り濃く、そう思うのだ。
仕事で、同僚にも、お客さまにも、業者にも。
わたしは人として扱われる機会が少ない。
わたしは喋る道具。
でも、わたし自身は、やっぱり、自分自身を人だと思うし、
オレは人じゃないなんて、捻くれるほど浅くも無い。
どんなに駄目だと思っても、前に進む意志を捨てちゃいけない。
だから、どんなに信じられない世界でも一握りもない
信じられるもののために、信じていこう。
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